原子力分野でのイノベーションを目指す大学院生の研究を支援するため、博士課程学生の米国大学への研究留学派遣を行います。
私は、北海道で生まれ、豊かな自然の息吹を感じながら育ちました。しかし、成長するに従って、「いつもの年より雪解けが早い」「北海道らしくない夏の暑さ」「餌不足で野生動物が市街地に出没している」など、気候の変化とその影響を体感することが多くなりました。気候変動の主要因は地球温暖化と学び、温室効果ガスの排出削減に向けて、一人ひとりが当事者として行動しなければならないのではないか、と思うようになりました。そして小学6年生の春、東日本大震災が発生。福島第一原子力発電所のニュース映像を観て、たいへんなことになったと感じたことは覚えています。それから10年後(修士課程1年)、実際に現場を訪れることになるとは、もちろんこの時は知る由もありません。
東日本大震災以降、一時、国内のすべての原子力発電所が稼働を停止しました。最も深刻なレベル7と評価された原子力災害であり、安全性への懸念、心理的・感情的な抵抗感があることは理解できます。しかし他方で、原子力発電は地球温暖化やエネルギー危機の問題にアプローチできる低炭素かつ経済性に優れた電源であり、社会に利益をもたらす有用な技術です。合理的に考えて、利活用されないのは「もったいない」と感じました。大学に進み原子力についての知識を深める中で、非専門家(市民)に科学的なトピックを伝え、正しい情報を共有する「科学技術コミュニケーション」の有り様についても深く考えるようになりました。
自己分析すると、私は見聞や経験を通して、思索を深めていくタイプです。異文化体験の最たるものの一つといえば海外留学でしょうか。学生という――とらわれのないニュートラルな――立場で、原子力研究の最先端、そのダイナミズムに触れてみたいと思うようになりました。そんな折、ANECの海外留学プログラムに参画できる機会を得ました。願ってもないチャンスでしたが、懸念することもありました。学部時代から一貫したテーマで取り組んできた研究を、留学期間中は中断せざるを得なくなるということです。しかし、博士研究が少し遅延したとしても、新しいテーマに挑戦し、かつ国際的な人的ネットワークを構築するほうが、今後のキャリアに資するのではないか…長い目で見て出した結論です。
留学先は、米国テキサス州最古の高等教育機関であり原子力工学の名門校として名を馳せるテキサスA&M大学(受け入れ: Prof. John Ford)。私はずっと放射線の安全利用に興味関心を抱いてきました。ここでは医療用インプラントが高精度放射線治療に与える影響をシミュレーション・評価する研究に取り組みました。照射野内に厚みのある高密度金属があると放射線の吸収・散乱を引き起こすことはよく知られています。私は、研究パートナーであるZavier(ゼビー)研究員が専門とする手法(細胞など微視的な領域を対象としたマイクロドジメトリ)を適用し、放射線治療時にインプラントが存在することにより、線量分布に影響を与えるだけではなく、細胞にダメージを与える二次電子が発生する可能性を見出しました。これは4カ月という短い期間で得られた大きな成果であり、今後も共同研究として進めていく予定です。
留学期間中は、前述のZavierが研究面だけではなく、生活面でもサポートしてくれたのは心強いことでした。ある程度のまとまった期間を海外で過ごすのは初めてで、文化や習慣、価値観が日本とは“まったく”違うと驚いたのは二度や三度ではありません。日本は文化や価値観、文脈の共有度が高いハイコンテクストな国と言われますが、米国社会はダイバーシティを前提としています。自分の考えを明確に発言するよう教育されており、また個々人の意見が尊重される風土があります。留学中に交流した人びとのはっきりとした物言い(研究上の手法を巡って少し言い合いになったこともありました)は、私には潔く心地よいものに感じられました。
海外留学の障壁に語学力がよく挙げられます。私は、研究室で学生アシスタントとして留学生のケアに当たっており、ランゲージエクスチェンジ(言語交換)などをしながら英語力を涵養してきました。しかし、留学後はさらに高度で洗練された英語コミュニケーション能力の必要性を痛感し、英語学校に通い始めました。こうした新たな気づきを得られたのも海外生活という経験があったからです。
異なる考えや価値観を認め合う、受容するという意味では、前段の科学技術コミュニケーションも同様の背景を持っていると思います。原子力発電の安全性への懸念に対しては、知識を持つ研究者や専門家が丁寧に時間をかけて、科学的な正しさや合理性を説明(発信)していく努力が求められると思います。また、多様な、時に厳しいフィードバックに応えて/答えていく姿勢も必須です。ネガティブで偏りのある情報が、社会に有益な技術を覆い隠してしまうことのないよう、私たちが「もったいない」と声を上げていかなくてはならないと思っています。